「土台の岩」  03−02−23
                   ルカ6:43〜49

 自分の人生の土台を置く岩を求めていながら、それを見つけ出す
ことの出来ないでいる人が多くいます。私たちも、本来は土台となる
岩を持てずに、洪水が押しよせれば倒れて壊れてしまうところで生き
るしかありませんでした。神抜きで生きる罪を抱えていたからです。
 しかし主は、<洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、
しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。>
そんな生き方ができるとおっしゃってくださいます。主イエスが私たちと
出会ってくださり、私たちの罪を赦してくださり、私たちの土台を置く
岩となってくださったからです。
「わたしの上に生きなさい」とおっしゃって、ご自身を差し出してくだ
さったからです。このことは、本当に大きな恵みであります。

 人生の土台を置く岩は、<地面を深く掘り下げ>なければ見つけ
られないものでした。主は「だから一生懸命に掘りなさい」とおっしゃる
のではありません。掘り下げなくても岩となる主が目の前にいらっしゃる
のです。主の言葉を聞くことも、行うことも十分とは言えない小さな
私たちであります。しかし、目の前に来てくださっている主にすがるよう
にして、主と共に生きようとする私たちは、すでに主に土台を置かせて
いただいています。そんな私たちに「洪水も揺り動かすことはできない」
との宣言をしてくださるのです。

 洪水のような様々な「試練や困難」があります。
 しかし、岩なる主につながっているゆえに、支えられ主と共に
乗り越える道を進めます。それはとても心強いことです。
 また、洪水は「世の終わりの出来事」とも考えられてきました。
 その時にも、岩なる主がおられるゆえに、揺り動かされることも滅びる
こともない者にしていただいています。
 さらに、洪水は「死」とも考えられますが、そこでも揺れないのです。
主によって復活の命を与えられ、神の国を約束されているからです。
人にとって、生きる時も死ぬ時もただ一つの慰めは、主が岩となって
くださっていることです。